着物と茶道 日本の文化ブログ

乙女峠まつり

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今日は、我が故郷、島根県津和野町に伝わる【乙女峠まつり】をご紹介致しましょう。

五月晴れの、気持ちのいい朝を迎え、駐車場確保の為に行列よりも1時間早く乙女峠への山道を登って行くと、
沢山のカメラマンが足場の悪い中、行列はまだかまだかと、待ち構えている状況に私としたら、驚いてしまいました。
野外ミサで、静かに祈りを捧げる為のおまつりが、観光化してきているのです。

現在、乙女峠と言われる小高い山で、かつて、キリスト教迫害の為の悲しい出来事があったのです。
明治政府からの指導に基づき、長崎大浦地区のキリスト教信者達が津和野の地にも送り込まれ、棄教しない彼らを、
4年間もの間、拷問によって迫害を加え続けたのです。
西洋諸国からの声により、政府が考えを改めた事で、生き残った信者達は、長崎に帰郷出来たのですが、子供を含め、
32人もの犠牲者が出てしまい、その殉教者を偲ぶ為の、信者達にとっては、信仰に基づくおまつりなのです。

実家の宗教がカトリックという事もあって、子供の頃から、毎年このお祭りには参加をしていたのですが、
今年は、家族の中でも信仰心の厚い父が高齢で山を登っての行列参加や、地元の信者としてのお手伝いが
出来なくなった、という事から、参加希望の姉の付き添いを、妹から依頼され、その責任を背負っての参加でした。
特に、あれだけ、熱心な信者である父が、今年は無理、と心に決めた思いが私にも痛いほど感じ取られ、
写真に納め、アルバムにしてあげよう、という思いから、初めて、色々な場面を沢山カメラに納めました。

鎖国をしていた江戸時よりも、もっと過酷な棄教の為の迫害が明治の初めに起こった、という歴史についても、
今年は、改めて考えてみる機会になりました。

その当時の故郷、津和野の人々の残酷な事に加担せざるを得なかった思いや、赴任して来られた、
フランス人、ドイツ人の歴代神父様の、過去を許し、史実を語り継ぎ、日本中に、世界中に、
乙女峠を知らしめた功績に、この年になって考えさせられました。

今年で、66回目になるこのおまつりの為に、日本中から、小さな町津和野に、沢山の神父様を始め、信者さんが集まられたのですが、外国人の方も多く、今日だけは、田舎町も都会並みに外国語が飛び交っていました。