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父の五年祭を兼ねての帰省(岩国編)

この4年の間に、父母が天国に旅たち、思いも掛けず、3歳違いの兄が父母を追いかける様に逝ってしまい、帰省の機会が重なりました。

今回は、父の五年祭という事で、私一人での帰省になったので、あちこち、旅行客の様に観光も兼ねて回ってきました。

途中、岩国で山陽道を下りて、今、丁度NHKの朝ドラで放送している【ブラッサム】で使われた、錦帯橋と、宇野千代さんの生家、白蛇の館と見学して来ました。
平日なので、観光客が少なく、ゆっくりと見て回る事が出来ました。
只、岩国城にも行きたかったのですが、タイミング悪く、ロープウェイの点検日と重なって、山の上にあるお城から眼下を見下ろす事は出来ませんでした。

宇野千代さんが、生家に植樹された岐阜県尾根村の薄墨桜の如く、季節外れの桜が咲いていました。

蛇には思えないほどの、綺麗な、肌で、綺麗な目でした。
特に、赤ちゃん蛇(ラブちゃん)の肌は美しかったです。

シロヘビが初めて歴史上に登場したのは、江戸時代中期、元文3年(1738)の『岩邑年代記』です。その記述によると、大洪水が起こり、その水が引いたとき、横山にあった千石原御門の近くで一匹のヘビが捕獲されたそうです。それは、色の白いヘビで、尾が打ち切られていました。そのシロヘビは、漢方薬に使われたとのことです。
また、享保年間(1716~1735)に編集された『享保増補村記』にも記述がみられます。岸根村(美和町)や六呂師村(岩国市)にシロヘビがおり、「梅雨左衛門(つゆざえもん)」と名前が付けられていました。由来は、雨の降る日によく石の上で見かけられたためとのことです。
さらに、幕末の文久2年(1862)に書かれた「錦川志」には、今津の米倉に二匹のシロヘビが住みつき、あちこちで見られるようになったとあります。
これらのことから、江戸時代中期にはシロヘビが健在し、名前を付けられるほど身近な存在だったことがわかります。

結局、シロヘビがいつ誕生したのかは、定かではありませんが、江戸時代に米作りが盛んになったことが関係していると考えられています。約400年前の関ヶ原の戦いの後、岩国に移封された吉川広家公は錦見(岩国市)一帯で米作りを推進しました。その米倉で、ネズミをエサにするアオダイショウが突然変異により、色素細胞のない種(アルビノ)が生まれるようになったのではないかといわれています。この神秘的なシロヘビは、「幸運を呼ぶ家の守り神」「神様の使い」として人々に大切に保護されました。そのために数が増したといわれています。

大正13年(1924)に国の天然記念物の生息地域として錦川周辺の今津、麻里布、川下地区が指定されました。その後、昭和47年(1972)には「岩国のシロヘビ」と指定替えされています。
岩国市は、市民と共にシロヘビの保護・保存活動および、理解を広める普及活動を行っています。
(参考:岩国のシロヘビ 岩国保存会)